羽生結弦選手とプルシェンコ氏比較

こんばんは、たまこです。

私は幼少時からフィギュアスケートが大好きで、むか~し、ビールマンスピンを見た時には、その場でスケッチを残したほどの衝撃を受けたことを覚えています。
そんな私は、好きな選手が数人いるのですが、プルシェンコさん、羽生結弦くんは、私の中では鉄板です。

「羽生か・・・」と思われるかもしれませんが、私が羽生君を発見したのは、2009年ごろだと記憶しています。
どんどん大人になっていき、立派な五輪連覇となりました。

羽生君とプルは非常に似ている部分が多く、それは、私が同じくずーっと愛読書として何度も何度も読んでいるエースをねらえ!の宗方コーチの名言そのものが実写化されたかのような選手だからです。

プルシェンコと羽生結弦の比較

ロシアNOWというサイトにて、プルと羽生君の比較がされています。

相違点は家庭環境

競技者としての比較で、相違点よりも共通点が多いと書かれていますが、相違点として大きいのが家庭環境。
(ちなみに家族環境は同じです。父、母、姉)
そこに家庭環境は触れられていませんでしたが、羽生君はご存知の方も多いでしょう、お父様は教育者の家庭で育っています。
彼が人格者として秀でているのは、お父様の育て方が大きいでしょうね。
もちろん、お母さまも、ですが、男の子は父親から受ける教育は非常に大きいものです。

対してプルの場合には、非常に貧困な家庭で育っています。
りんご1つを家族で分け合うほど貧困な家庭でした。
プルは、空きビンを拾いそれを換金するほど、貧困な家庭だったのです。
体が弱かったことから(ここは共通点)4歳で母に連れられ滑り始めました。

スケート靴を買うことすらできない経済状況の中、偶然、近所の子供(女の子)が親にスケート靴を買ってもらったところ、手違いで黒い男の子用のスケート靴が届いて泣いていやがったので、プルシェンコの家の譲ってくれました。
スケート靴が手に入ったので、近くにあった無料のスケート教室(なんとそこは英才教育を施す価値のある子どもを見出すための施設)でした。

プル本人は、ちょうどクリスマスの時期だったこともあり、
神様がスケートをやりなさいと言ってスケート靴を届けてくれたのだ、と思ったそうです。

自伝では
「僕は、自分の才能は神から与えられたもので、これ無しではきっと何者にもなれやしないだろうと思っている。そしてまた、この才能は大きな責務であるとも感じている。僕は、僕の持ちうる才能すべてを出し切らねばならない。」
と語っています。

このスケート教室はプルが11歳の時にソビエト連邦が崩壊したことで閉鎖されてしまいます。
しかし、スケート教室の先生は、すでにプルの中に光り輝く才能があることを見抜いていたので、サンクトペテルブルグのミーシンコーチに紹介されます。
この時、あまりにも遠方な場所なため、両親は非常に戸惑い、またサンクトペテルブルグでの就労許可証を持っていなかったため、プルは11歳という若さでアパート暮らしを始めることとなります。

たかだが11歳の少年が両親と離れて一人暮らし。
しかもアパートとスケートリンクにしか自分の居場所はありません。
当時は、両親を思い、泣いたりもしていましたし、同じスケート教室の先輩たちからは執拗ないじめを受けてもいました。
(スケート靴を隠される、たばこの火を押し付けられるなど)
それでも彼は、スケートで勝つことで両親と一緒に暮らせるようになることを夢見て、それを実現します。

世界ジュニア選手権で優勝したことによって、家族が一緒にサンクトペテルブルグで暮らせる家を手に入れることが出来た、15歳の時には既に家族の大黒柱としての役目を背負ってのスケート選手生活だったのです。

幼い日に同じプロ滑ってます

こちらはプル17歳のころ。
1999年のNHK杯です。
17歳にして、この演技。

こちらは羽生君2004年 ノービスですね。
初出場で優勝という・・オソロシアw
プルのソルトレイクを見てファンになったと言っていた覚えがあるのですが、1999年にプルが滑っていた黒い瞳を2004年に滑ってるんですよね。

私の中の伝説の演技

私がプルの演技を見て、強く引き付けられたのは、神がかった演技です。
何度も何十回も見ても、この演技はすさまじく、私は、このまま彼は神様に連れていかれるのではないかと不安になったことさえあります。

ニジンスキー。そのもの。
特にバラの精のポーズでは、顔がプルではないほど!

ニジンスキーのように神様に魅入られてしまうのではないかと不安になったのは私だけじゃないのでは・・・。

そして、私の中の羽生君の伝説演技はこちらです。

まだあどけなさが残る羽生君ですが、最初から唇の色が悪いんですよね。
あとから聞いた話では、捻挫していたそうな。

2009年に初めて見た時、「この子、すごい!将来来る!」と思っていましたが、この演技で確信しました。
プルを初めて見た時と同じ衝撃でしたね。

ちなみに、ロミジュリは私はこっちのほうが好きで、また滑ってもらいたい・・・
(衣装はお母さまが縫ったもので、もう入らないそうです)

で、何がいいたのか

私は、この2人の精神性が好きです。

羽生君に関しては、受け答えがしっかりしすぎているとか、調子に乗ってるとか、ナルシストだとかさんざん叩かれてもいますが、一切気にしてほしくないと思っています。

ナルシストでなければ、トップになんて立てません。

私はアマチュアだけど空手を16年続けています。
大会に出場することもあります。
だからこそ、わかることがたくさんあるのです。

ナルシストでなければ勝つことはできません。
その場の状況を冷静に判断し、勝ちに行くことは、自分が負かしてしまった人に対する償いでもあります。

自分に勝った人に対して、私はどんどん上に上がって優勝までしてほしい、そう思います。
そう思う時点で負けちゃってるんですが、私の背中を越していったのだから、そのまま越し続けて行ってくれないと、一生懸命練習してきた自分がかわいそうだ、とも感じるからです。

松岡修造さんは、エースをねらえ!大好きですが、おそらく宗方コーチの名言を体現している羽生君のこと、アスリートのことは大好きだし、年下だろうが自分とは違う競技だろうが、尊敬しているに違いありません。

どんな名言があるのか、書いていきたいと思います。

宗方コーチの名言

どのスポーツも高度な技は高度な美をともなうものだ!

あとは精神力だ。
ここまでだと思ったときもう1歩ねばれ! 
それで勝てないような訓練はしてない。

より高く飛ぶ前にはより低く身をかがめなければならない。 だからいま骨の髄まで苦しんでおけ。

誰でも試合前はあがる。
それで失敗するか、その緊張を利用して練習以上のプレイをするか。
ふだんの精神の鍛え方ひとつだ。

ワクがないのですあれのプレイには。
あれは限界を知りません。
自分のプレイを限る考えが一切ないのです。
それでここまで伸びたのです。

おれは この世に耐えられぬほどの悲しみも苦しみもないと信じている。
昔おまえくらいのころ、忘れたいことがあって、ついでに体に寿命があることも忘れ果てたことがある。 『この一球は絶対無二の一球なり。されば身心をあげて一打すべし』
あの言葉が好きで、必ず暗唱してからプレイした。
だがその言葉が心底骨身にしみたのは、テニス生命を絶たれてからだった。 この世のすべてに終わりがあって、人生にも試合にも終わりがあって、
いつと知ることはできなくても、一日一日、一球一球、必ず確実にその終わりに近づいているのだと。
だからきらめくような生命をこめて、
本当に二度とないこの一球を精いっぱい打たねばならないのだと、・・・あとから思った。 自由に動けるうちに、自由に走れるうちに、悔いのないプレイをしておけ。
おれの落ちた落とし穴に、おまえは落ちるな。
そうとも。
人間この世に生きて、耐えられぬほどの苦悩も悲哀もあるものか。
いずれ、何もかも思い出になる。

勝者は常に敗者に償わねばならない。
10人に勝ったら、自分と併せて11人分の努力をすることが必要だ。
それを怠ったとき、栄光の座から振り落とされる。

「我慢できないものをこらえるから、価値があるんだ。
覚悟しておけよ。 トップクラスになるには、トップクラスの苦しみをなめなければならないぞ」 ―そうやって、無理やり苦労させられる人間は幸せだ。知らない間に伸びる

私はこれらの言葉は自分の人生に対してへの言葉として受け止めて生きてます。

アスリートの方々は、実践して生きているのでしょう。
特に、一流と言われるアスリートほど、孤独で、常に敗者に償って生きています。
これらが全てできた時に、トップアスリートであり、人格者になるのではないかと、思っています。

昨日、伊達公子さんがアナザースカイで同じようなことを語っていました。
トップアスリートになることは人格者になること。と。

そこに年齢は関係ありません。
勝者は常に敗者に償わなければならない。
これは本当にその通りです。

これからもフィギュアスケートヲタクとして、羽生君を応援し続けるつもりです。

散文・駄文、お許しください。

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